"me<defunct> in rubbish <defunct> No.7"
 2018






人々の「廃棄」によって建設された、特定の目的なく作られたオブジェクトの山=構造物に身を投じ、廃棄されたオブジェクト達ともみくちゃになる中で、不能でありながらもそこに存在する実感を獲得する。この過程を撮影した作品。
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ゴミの山は不特定多数の人々による「廃棄」によって建設される。しかし「廃棄」は、この行為に付属する、建築的な性質には意識を向けられることなく行われる。
つまり、このオブジェクトの山は、この方向性のない建設行為によって生じ、ある特定のベクトルを持ち得ない(または、ばらばらのベクトルを含有した)場として存在する。
廃棄されたオブジェクトの山を、ロンドンの街の中で見つけ、一切手を加えず身を投じ、潜る、まとう、食べる、こする、登るなどの行為を行い、オブジェクト達ともみくちゃになりながら、無理やり関係していく。
この特定のベクトルが不在している建設物にあえて切り込み、摩擦していくことで、(これまで所持していたであろう)その場における自身の振る舞いの意義や、オブジェクト達との特定の相対性を見出せない瞬間を、自分自身に享受、蓄積させ、その場において自身が特定の何者でもない「不能」なものでありながらも、そこに存在することを実感していく。



“<defunct>”are photographic works, in which he dives into a pile of rubbish without any changes, being mixed with disposed objects.
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Piles of rubbish can be created by people disposing. But while people dispose of objects, they do so without paying attention to this architectural nature.Therefore, the piles of rubbish are constructed by this aimless architectural actions as places having no specific function. 
Through being messily mixed with disposed object, and doing actions such as wearing, rubbing, climbing, combining and eating, which cannot be linguistically connected with that place, he experiences impossible realisation of meaning of his action and his existence through this. 
By accumulating this momental feeling of his defunct existence, he gradually disconnect with his attention to his values such as sex, nationality, what he can do, and then he can obtain his autonomous exist, even he is useless.



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